ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > にいざ見聞録 > にいざ見聞録(第3回 普光明寺と金沢文庫)

本文

にいざ見聞録(第3回 普光明寺と金沢文庫)

ページID:0000416 更新日:2012年11月1日更新 印刷ページ表示

普光明寺と金沢文庫の写真
 鎌倉中期に北条(ほうじょう)氏一門の金沢実時(かなざわさねとき)が創設した金沢文庫(かなざわぶんこ)は、国宝や重要文化財の宝庫です。現存する典籍の中には、13世紀末から14世紀初頭に書き写された浄土三部経の典籍『観経玄義分見聞集(かんぎょうげんぎぶんけんもんしゅう)』があります。
 この典籍は、東大寺戒壇院(かいだんいん)の学頭(がくとう)を勤め、後に金沢称明寺(しょうみょうじ)の第三代長老となる湛睿(たんえい)が、今から約700年前の正安3年(1301年)に、大和田の普光明寺(ふこうみょうじ)において書き写したものでした。その奥書には
… 今少し改作を成し 恣(ほしいまま)に刪補(さくほ)を致す 努力々々(ゆめゆめ)写本となすべからず
 穴賢々々(あなかしこあなかしこ) 指南(しなん)となすべからず 時に正安三年五月廿二日未尅(みのこく) 武蔵国 新倉郡(にいくらこおり)大和田郷(ごう)普光明寺に於て書写(しょしゃ)せしめ了(おわ)んぬ 沙門湛睿(しゃもんたんえい) …
 とあります。湛睿はこのなかで、写本は自分で少し書き改め、補ったものであるから、他の写本の基準となるような、定本(ていほん)として書き写すことや、教え導くことを固く禁じています。
 この奥書により、大和田の普光明寺は、当時から貴重な典籍を有する、関東に名の知れた古刹(こさつ)であることがうかがえます。

案内図

大和田四丁目13番30号 普光明寺
案内図