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にいざ見聞録(第7回 速水御舟と武蔵野新座)

ページID:0000420 更新日:2012年11月1日更新 印刷ページ表示

 大正・昭和時代前期の日本画家で、迫真的描写と近代的構成によって日本画の近代化に一道標を打ち立てたのは、速水御舟(はやみぎょしゅう)です。
 リアリズムの原点に返っての絵画の挑戦は、40歳で亡くなってからも「幻の画家」といわれ、没後は天才として高い声価(せいか)を得ました。
 御舟は、30代にさしかかる頃の大正12年3月から12月まで、野火止の平林寺に仮住まいし、制作のかたわら峯尾大休老師(みねおだいきゅうろうし)に参禅して心の修養に努めています。常に画境の開拓に努めた御舟は、さらに大正14年春まで片山村の大塚家(現、大塚隆嗣家)に滞在して制作の日々を送りました。
 当時のこうした精進生活の中から生み出された作品の中には、平林寺や片山など新座近辺で取材したものも多くみられます。
 作品としては、第11回院展(いんてん)に出品した『丘』『門』『圃畦』『春昼』『暁靄』『収穫図』『平野晴景』『晴篁図』などがあります。
 御舟は、この武蔵野滞在の日々で精神修養を重ね、普通とは違った画業を開拓することができました。