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にいざ見聞録(第12回 請願成就の半僧坊)

ページID:0000425 更新日:2012年11月1日更新 印刷ページ表示

  半僧坊の写真
 新座の春を告げる行事の一つに平林寺の半僧坊大祭(はんそうぼうたいさい)があります。
 毎年の4月17日に行われるこの半僧坊の縁起をたどると、静岡県引佐(いなさ)郡引佐町にある奥山方広寺(おくやまほうこうじ)の半僧坊主が、その源にあたります。
 半僧坊の由来については、「奥山半僧坊縁由記(えんゆき)」に、方広寺の開山である聖鑑禅師(しょうがんぜんじ)に随時した老翁のことが記されています。この半僧半俗(はんそうはんぞく)の容姿をした老翁は、俗に半僧さまと言われ、聖鑑禅師が亡くなったのちも寺域境内を風水害の災害から守ったそうです。
 不可思議な神通力をもつ半僧さまの霊験は、そののち村里在郷(そんりざいごう)にまで聞こえ信仰されていきました。庶民の素朴な悩みをも削除し、煩い転じて利益となす半僧坊の信仰は次第に広まり、関東にまで及びました。
 明治23年、鎌倉建長寺(けんちょうじ)に、その奥山半僧坊が勧請され、山内の守護神として祀(まつ)られました。
 平林寺の半僧坊は、同27年、鎌倉報国寺(ほうこくじ)の住職をしていた玉圓禅師(ぎょくえんぜんじ)が、縁あって野火止平林寺に転住(てんじゅう)した際に境内に勧請したものです。
 17日の当日は、半僧坊のある感応殿(かんおうでん)で大般若経の転読(てんどく)などが行われ、近隣法類(ほうるい)のお練りや稚児行列など、雅楽の音とともに平林寺門前には植木市などが軒をつらね、人々で大いに賑わいをみせています。