第5次新座市総合計画(基本構想・前期基本計画)令和5年度(2023年度)~令和14年度(2032年度)
19/192

112 沿革 新座市の名称は、奈良時代に朝鮮半島の新しらぎ羅から渡来人が移住し、「新しらぎ羅郡ぐん」が置かれたことに端を発しており、その後は「新にいくらぐん倉郡」や「新にいざぐん座郡」などと名称が変遷していきました。 鎌倉時代から南北朝時代にかけては、武むさし蔵武ぶし士が台頭し、片かたやま山郷ごうの出身である片山氏が黒目川流域を中心に活躍しました。また、普光明寺や氷川神社を中心とする柳瀬川流域の大おおわだ和田郷ごう一帯も文化的な発展を遂げました。 近世に入り、江戸時代には、野火止台地が開拓され、野火止用水の開削や畑・雑木林の整備が行われたほか、川越街道の整備や平林寺の移転などを経て、「肥沃な農村地帯」として発展してきました。 明治時代には、多くの村が合併して「大和田町」と「片山村」となり、昭和30年(1955年)3月にこの二つの町村が合併して新座町が成立しました。さらに、昭和45年(1970年)11月、県下で30番目の市として市制を施行し、現在の新座市となりました。 その後、宅地開発が進み、首都近郊のベッドタウンとして発展し、近年では、三つの大学が立地する文教都市の性格も有しています。

元のページ  ../index.html#19

このブックを見る