ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 新座市文化財保護審議委員会 > 平成28年度第2回文化財保護審議委員会会議録

本文

平成28年度第2回文化財保護審議委員会会議録

ページID:0050510 更新日:2016年8月29日更新 印刷ページ表示

開催日時

平成28年8月29日(月曜日)
午後2時から午後5時30分まで

開催場所

新座市観光プラザ交流ルーム せせらぎ

出席委員

根岸茂夫、岩崎信丈、佐藤善信、蔵持重裕、宮瀧交二 (全6名中5名)

事務局職員

教育総務部長 大熊 正
教育総務部副部長兼生涯学習スポーツ課長 渡辺哲也
生涯学習スポーツ課副課長兼生涯学習係長 栗山隆司
生涯学習スポーツ課主任兼学芸員 斯波 治
生涯学習スポーツ課主事兼学芸員 川畑隼人
生涯学習スポーツ課主事兼学芸員 大木さおり
生涯学習スポーツ課主事補 泉崎葉子

会議内容

  1.  開会
  2.  挨拶
  3.  議題
    (1) 文化財の市指定化について
    (2) 指定候補文化財の経過報告
     ・ 新井(ヤマニ)水車遺構
     ・ 石山家芝居衣装・用具及び芝居台本
     ・ 片山富士及び丸吉講関係資料
     ・ 陣屋堀築堤遺構
    (3) 文化財保護審議委員会視察研修について
    (4) 仮称)大和田二・三丁目土地区画整理事業予定地現地視察
    (5)  その他                                                                                                                                    
  4.  閉会

 会議資料

次第
野火止氷川神社の力石調査報告…資料1
新井(ヤマニ)水車…資料2
石山家芝居衣装・用具及び芝居台本…資料3
片山富士及び丸吉講関係資料…資料4
陣屋堀築堤…資料5
文化財保護審議委員会視察研修について…資料6
仮称)大和田二・三丁目土地区画整理事業予定地
睡足軒の正式登録とリーフレット
四市合同丸沼芸術の森コレクション展チラシ
県博特別展「徳川家康」チラシ

公開・非公開の別

公開 (傍聴者0人)

その他の必要事項

なし

審議の内容(審議経過、結論等)

1. 開会

午後2時開会

2. 挨拶

委員長挨拶

3. 議題

(1) 文化財の市指定化について 

資料1に基づき、事務局が説明する。

<審議経過>
委員長:非常に丁寧に調べてある。調べられることは、調べ尽くしたのではないか。これまで何度か力石の指定化について議 論してきたが、今の報告について、いかがか。

委員:一番古いものが寛永、新しいもので明治20年であり、大変興味深い。

事務局:全国的に見て、現在でも、この力石を使った力比べは何箇所かで行われている。決して無くなってしまっているわけではないが、力石の存在がいつの間にか忘れ去られてしまっているというのが現状である。分布は、神社・寺院のみであると思っていたが、道端の交差点脇に所在することも多々あることを知った。市内でも見てはみたが、道端にはなさそうである。

委員:道端というのは原位置ではないであろう。多くのことが分かってきており、重要性を共有できる状況である。明治8年3名が重複している。ある時代・時期に集中している意味は何か。実際の機能面が明らかになれば面白い。仮に指定することになれば、市民に呼び掛ける形が一つのアピールの仕方であろう。日記・日誌等は残っていないのか。

事務局:神主の紹介で、地元で氷川神社に力を注いでいる方を最初に訪れた。その方を通じて、多くのことが分かった。分からないのが関根氏である。その意味では、調べるのは限界に近い。

委員:氷川神社の力石はどのような状態で置かれているのか。

事務局:2基がお社とお社の間の木の植え込みの下であり、もう1基が水屋の横である。神主に一か所にまとめて置かせてもらいたいとの話はした。水屋の方に置かれた1基については、文字面でない方を上にして置かれていた。最初に訪れた際に、大掃除の日であり、氏子役員と話した際、力石であることすら認識していなかった。若宮八幡宮に指定された力石も石塔の後ろに隠れるように置かれているため、氏子・宮司にも伝え、もう少しP Rしてもよい。

委員:若宮八幡宮の近くにある菅沢集会所利用者も行ったことがない。

事務局:覗くこともできない。P R方法を考えていきたい。ただし、重いため、簡単に動かせないという問題もある。

委員:旧大和田地区にはあり、片山地区には一基もないようだが。

事務局:現状では、分布状況の確認中であるが、神社については一通り確認した。『埼玉県の力石』に、馬場氷川神社に1基あるとの記載がある。現地確認したところ、力石らしい形をしていた。ただし、半分以上土に埋まっていたため、それが力石だと断言はできない。また、隣には、小さめの同様の形の石があった。参道に形の崩れたものであるが、力石らしいものが1基あった。これも丁寧に調査してみなければ断言できない。少なくとも、1基ないし2基はあるかと考えられる。武野神社については、力石状の石が、お宮の下にゴロゴロ、石段の脇に置かれているため、それを良く見てみないと断言できない。その下にある神社の手前斜面と平地の間に、同様の石がゴロゴロと多くある。それが力石かどうかは今後調べてみなければ分からない。見た目が比較的新しいため、意図的に敷石状に敷いているかもしれないが、まだわからない。

委員長:他はいかがか。何度か議論されているため、これを元に調書を作成し、それができたところで審議し、指定する方向でいかがか。

委員一同:承認

委員:保護の措置はどうするか。

委員長:説明板は作成する。その後については考えなければならない。地域のものに目を向けること、地域興しという面で力石を活用していくべきである。それが地域の活性化につながればよい。

委員:並木助太氏の時期は特定できるのではないか。年齢等を確認できないか。明治何年等の具体性が欲しい。何歳で亡くなったのかということが分かればよい。

事務局:力石は、若衆が何かやろうかということで始まったのではないかと考えている。これは未確認であるが、『埼玉の力石』に、神明神社の2つの力石に若者中と書かれているとの記載がある。やはり若い人の間で行われていたのではないか。新しい時代であると青年団である。

委員長:明文化されなくとも、若衆というのはあったのではないか。それを推測する一つの資料となるのではないか。青年団ができると、若衆は解体させられてしまう。近世資料でも基本的にはないが、騒動が起これば史料が残る場合もある。反対に、この力石の存在が、地域に若衆が存在していたこと、根付いていたということを証明することになる。

委員:なぜこの時期に集中しているのか。

委員長:若衆は、村の戦争等の際に中心となる。近世においては、それが明確になるのが19世紀に入ってからである。19世紀前後に祭りの形態が変わってくる。祭りは、家の格式に合わせて旧家が神社に集まって行うものから、芸能化してくる。それが18世紀の終わりから19世紀の初めに顕著になる。毛呂山の流鏑馬等、再興したといいながら、18世紀の終わり頃から始まっている。祭りに付属と称して浄瑠璃や芝居を行うことが多くなったため禁止するのがちょうどその頃である。それと共に、行う主体が、村の長老から若者に変わる。若者が、芝居、浄瑠璃、村芝居、農村歌舞伎、相撲を行う方向に変わるのである。そうした中で、若者は村の芸能、文化の主体になり始めるのが19世紀になってからである。その過程で、恐らく幕末にだんだんと力石を使ったさまざま競技やそれが見世物、娯楽になっていく。それがある意味では、力石に若者衆と書かれる背景となったのではないか。こうした動きが新座でもあったのだろう。歌舞伎を立派にやりたいために、農業を休んで若者が集まると、村の名主、長老達が困るのである。それで、村役人と若者の争いが生じるため、史料が残る。それがないところはスムーズにいっているから、史料が残らない。そういった意味では、スムーズにこの地域では若者たちが村の文化を担っていたと言えるのではないか。

委員:明治8年前後、地租改正期に新座で何かあったのか。

事務局:力石を競技でないものとして考えた場合、例えば、天変地異があった、病気が流行った等を考えてみたが、今のところ史料がなく、力比べしか考えられない。

委員:幕末から明治初期にかけて、この地域は安定していたのか。

委員長:政治形態が異なって、いろいろなことが上から変化したところはあるが、人々の生活がそれで変わったというとそうではないと思う。この地域で、戊辰戦争に関わることがあったわけでもないため、そうした意味では、割と安定していたのではないか。今後は、指定に向け、調書を整えてほしい。

(2) 指定候補文化財の経過報告

(1) 新井(ヤマニ)水車遺構

委員長:今の説明について、何か意見はあるか。一番重要な所有者の、指定に対しての同意はどうか。

事務局:以前話した際には、相続があり、解体する時には声を掛けてくれるとのことであった。金銭が絡んでくるため、買い取る、移築するということはまだ言い出せない。

委員:状況は分かった。具体的な指定対象としては、水輪の芯棒、杵、臼等を考えているか。

事務局:そこで文化財の指定分類が変わってくるかと思うが、水車の構造部材を指定するのであれば、有形民俗文化財となるかと思う。

委員:指定は水車そのものの機能を考えれば、それだけを指定していいのかというところがある。やはり、水路なども含めて機能全体を含めた状態で、文化財指定すべきである。残った遺構だけ取り上げて指定して良いのか。

事務局:水路については、川の流路自体変わってしまっていることもあるが、大関の分岐点から新井家に至るまでの大半は道路である。道路の脇に歩道があり、そこが水路だったのではないか。また、新井家の敷地の中で母屋の前から水車小屋までは、水路に蓋をしたようなところがある。そこが水路であることは、行けば分かる。

事務局:廻し堀については、現在ではほとんど残っていない。新井家の水車の前後の部分に若干の痕跡がある程度である。他の部分の廻し堀は残っていない。廻し堀の元となる田中用水の存在自体、分からない。建物についても、歴史民俗資料館で復元している建物は、現在の建物を元にして図面を起こしているため、広い意味で見ると、屋根構造は変わっているが、図面のもととなっているため、水車が稼働していた時期の建物であろうと思われる。

委員:いつ出来たものかは分からないのか。

事務局:調査では、ヤマニ水車の稼働期の想定はされているが、現在残されている水輪自体がいつ作り直されているかの調査は行われていないため、分からないというのが現状である。

委員:相続問題が一番大きい。

委員長:できるところを考えていく。

(2) 石山家芝居衣装・用具及び芝居台本

委員長:埼玉県で指定されるのであれば県指定で、そうでなければ市指定でということであるが、いかがか。

委員:県の感触はどうか。県博保管資料と一緒に指定しそうな雰囲気はあるか。

事務局:県指定を担当した三田村佳子氏以降、芝居専門の担当者がいないようである。なんらかの理由で除外したのであれば、それを覆す大きな理由はないとのことであった。三田村氏と接触をとりたいと思う。

委員:市側の記録はないのか。例えば、市の展示から外したくなかった等。

事務局:資料館で展示したことはないと思う。

委員:指定解除は大変であるが、追加指定はそこまで困難なことではないのではないか。現在の担当者と交渉すればよい。

事務局:県が主体で動くことはないと考えられる。

委員:市では、指定のための報告書や資料集は出しているのか。県では、調査報告書を複数年度で出している。5年に1回、10年に1回程度で良いので、出すべきである。

事務局:今後のためにも残していきたい。

委員:1点1点の調書を作ってあるのか。

事務局:調査カードを作っているため、これに基づきあるはずであるが、原本にあたれていない。

事務局:細かい調査はしていない。分かる範囲での書込みはしているとは思うが、細かい聞き取りをしているかは分からない。

事務局:台本に関して、県の指定一覧表に、同じタイトルのものがあるため、複数あるものが市に残されている可能性もある。ただし、確証はない。56年度に寄贈を受け入れたものは、県に寄贈される前のものであるため、選んで持ってきた可能性もある。58年度になると一気に100点が県に寄贈されている。

事務局:大正14年製とあるが、石山政雄氏の妻が作製した可能性もある。

委員:映像資料は残っているのか。県の民俗文化センターにも残っていないか。

事務局:昭和30年代のため、ないだろう。

委員:8ミリで撮っているものもないか。

事務局:写真すらない。

委員長:県とのやりとりを待つということでよろしいか。

委員一同:了承。

(3) 片山富士及び丸吉講関係資料

委員長:これについていかがか。

委員:見積り内容について、測量方法、範囲について、業者に投げるのではなく、市側で仕様書を丁寧に作る必要がある。また、測量図からの復元を考えると、コンタは、最低でも10センチにするべきである。

事務局:仕様書については、市で作成し提示した。コンタについては25センチで依頼した。

委員:コンタ10センチはほしい。現地を見て、デリケートな部分は手測りでやってほしい。

事務局:測量方法は、常緑樹であり航空測量は難しいため、手測りで依頼している。

委員:測量基準杭の移動が入れば、非常に高額となる。市で協議し、その通り業者にお願する方向で行くべきである。

委員:石造物は1基だけか。

事務局:複数ある。中腹までの間にある。これらについても調べる必要がある。

委員:丸吉講が東武東上線に沿ってとあるが、川越街道ではないか。

事務局:中野の富士は、川越街道拡幅工事に際して、塚自体が消滅している。そこにあった石塔類が榎本氏という先達を務めた方の家に移された。そこを富士塚と呼んでいる。したがって、市内で塚が現存するのは、法臺寺境内の富士塚のみである。また、丸吉講の中では最古の富士塚である。各地に存在する富士塚については、枝講がそれぞれ塚を築いているようである。

委員:法臺寺と浅海家の関係はどういうものか。

委員:檀家である。浅海家の史料については代替わりし、不明である。

委員長:並木将平氏所蔵史料についてはどうか。

事務局:並木将平氏所蔵史料は、浅海氏から先達が代わった以降の情報が載っているため、それ以前の詳細については、その史料を見てもわからない。江戸期のものもあるが、比較的新しいものばかりで近代、現代が多い。市史掲載史料が6点であり、それを細かく分けると9点である。

委員:現在講は残っているのか。

委員:昭和初期になくなったのではないか。

委員長:中野の富士が現存していないため、榎本家文書を一括指定するかというところである。整理ができれば、今後指定が可能であろう。

(4)陣屋堀築堤遺構

委員長:これについていかがか。

委員:保存措置が厄介である。

委員:芝を貼ると、シルエットは残るが、当時の様子について誤解を与えることもあるため難しい。

事務局:工法は版築である。道路部分の発掘調査をしたが、関東ロームまで一度掘り下げ、その部分から版築を行っている。比較的粗い版築である。新しいものか、古いものか。崩れている様子が見受けられた。そのことによって、比較的早い時期に版築の技術を持っている人々が修復を行っている印象を受けた。

委員:当時でも、年1回ほどは修復を行っているのではないか。

事務局:水路清掃を行っている。決壊して積みなおした痕跡もある。流れが絶えていたところを掘りなおしている痕跡もあり、水路の底面を3つに分けることもできた。そうした状況も調査時に分かった。表土が20センチ以上覆っている状態である。崩れてはいても、かなり守られている。

委員:測量のコンタについても、10センチにすべきである。

委員長:測量を待ち、指定に向かうということでよろしいか。

委員一同:了承。

(3) 文化財保護審議委員会視察研修について

資料6に基づき、事務局が説明する。

<審議結果>

研修先は、香取郡(佐原市)に決定する。日程については、11月17日(木曜日)が候補となった。

(4)  その他

事務局より、睡足軒の正式登録、四市合同丸沼芸術の森コレクション展、埼玉県歴史と民俗の博物館特別展「徳川家康」について説明があった。

(5)  仮称)大和田二・三丁目土地区画整理事業予定地現地視察

4.  閉会

午後5時30分閉会


新座市文化財保護審議委員会