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場所 : | 新座市大和田三丁目 |
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面積 : | 約3,660平米 |
主な時代 : | 縄文時代、古墳時代、平安時代 |
調査の目的 : | 土木工事等に先立ち、記録保存を行う。 |
調査期間 : | 平成29年7月から平成29年9月まで |
解説 : 後世の耕作によって筋状に破壊されていますが、約5,000年前の縄文時代中期の住居跡が見つかっています。平面は円形で、掘り進めると、床面から炉や柱穴が検出されます。
解説 : 後世の耕作によって筋状に破壊されていますが、約1,000年前の平安時代の住居跡が見つかっています。平面は方形で、一辺にカマドが作り付けられており、強い火を受けて、赤く焼き締まっています。
解説 : 約1,500年前の古墳時代中期から後期の住居跡が見つかりました。大和田カミ遺跡から古墳時代の住居跡が発見されるのは初の事例です。平面は方形で、カマドはありませんが、高坏などが出土しています。
解説 :約1,000年前の 平安時代の住居跡が見つかっています。平面は方形で、一辺にカマドが作り付けられていますが、それとは別に、中央部からも強い火を受けて、赤く焼き締まった土が見つかっています。また、住居内の土坑からは鉄製品の破片も見つかっていることから、この遺構は通常の住居ではなく、鉄製品を加工する鍛冶工房だった可能性が出てきました。
解説 : 第8地点は比較的、柳瀬川に近い場所に位置し、地面を掘るとすぐに礫層が出現することから、遙か昔は川底か川岸であったことがわかります。左の写真は縄文時代、右の写真は平安時代の住居跡ですが、この硬い大地を人力で掘って、竪穴住居が作られたことになります。
左の写真では、床面に小さな穴がいくつもあります。これは柱穴ですが、同時期の住居よりも穴の直径が小さく、2つで1組のような配置に見受けられます。右の写真では、五角形の住居跡が見られますが、同時期の住居は方形(四角形)になるのが一般的です。
2つの住居の間には、何千年もの隔たりがありますが、どちらも硬い大地を掘る上での苦労と諦めが伝わってくるようです。いずれの場合も、多大な労力をかけてまで、この地に住む理由があったと推測されるため、同時の柳瀬川の流路や周辺遺跡との関係を探っていく必要があります。
※ 調査成果の詳細につきましては、『大和田カミ遺跡群発掘調査報告書1』をご覧ください。