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新座(にいざ)の歴史(れきし)をたどる旅(たび)

印刷用ページを表示する 掲載日:2025年4月1日更新

新座市を上からみた画像

​旧石器時代(きゅうせっきじだい)から鎌倉時代(かまくらじだい)まで

新座市(にいざし)は、(やな)瀬川(せがわ)黒目(くろめ)(がわ)(まわ)りの(ひく)土地(とち)と、それにはさまれた野火止(のびとめ)台地(だいち)からできています。

(ふる)くから()場所(ばしょ)としてだけでなく、交通(こうつう)宿場(しゅくば)としても重要(じゅうよう)場所(ばしょ)でした。

旧石器(きゅうせっき)時代(じだい)には、黒目(くろめ)(がわ)流域(りゅういき)市場坂(いちばざか)遺跡(いせき)栗原(くりはら)遺跡(いせき)などに、(むかし)(ひと)たちが生活(せいかつ)していた(あと)(のこ)っています。


市内(しない)には、旧石器(きゅうせっき)時代(じだい)から古墳(こふん)時代(じだい)まで、(やな)瀬川(せがわ)黒目(くろめ)(がわ)流域(りゅういき)中心(ちゅうしん)に100か(しょ)もの遺跡(いせき)があります。

弥生(やよい)時代(じだい)には、(やな)瀬川(せがわ)黒目(くろめ)(がわ)流域(りゅういき)低地(ていち)水田(すいでん)となり、周辺(しゅうへん)新開(しんかい)遺跡(いせき)では複数(ふくすう)方形(ほうけい)(しゅう)(こう)()(むかし)有力者(ゆうりょくしゃ)のお(はか))が()つかりました。

古墳(こふん)時代(じだい)から奈良(なら)平安(へいあん)へと時代(じだい)(すす)むにつれ、河川(かせん)流域(りゅういき)全体(ぜんたい)(いえ)が広がり、(むら)ができました。


奈良(なら)時代(じだい)には、朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)新羅(しらぎ)から(おお)くの(ひと)がやってきて、新羅(しらぎ)(ぐん)になりました。

新羅(しらぎ)(ぐん)はその()新倉郡(にいくらぐん)、さらに新座郡(にいざぐん)名前(なまえ)()えます。新座市(にいざし)名前(なまえ)はこの新座郡(にいざぐん)がもとになっています。

その()片山(かたやま)(ごう)出身(しゅっしん)である片山(かたやま)()が、鎌倉(かまくら)時代(じだい)から南北朝(なんぼくちょう)時代(じだい)にかけて黒目(くろめ)(がわ)流域(りゅういき)中心(ちゅうしん)活躍(かつやく)しました。

一方(いっぽう)()光明寺(こうみょうじ)氷川(ひかわ)神社(じんじゃ)中心(ちゅうしん)とする柳瀬(やなせ)(がわ)流域(りゅういき)大和田(おおわだ)(ごう)一帯(いったい)にも文化(ぶんか)()まれ、市内(しない)(ゆた)かな歴史的(れきしてき)発展(はってん)(はじ)めました。

 


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江戸時代(えどじだい)から現在(げんざい)まで

近世(きんせ)(はい)ると、江戸(えど)東京(とうきょう))から(ちか)場所(ばしょ)であったことから、川越(かわごえ)高崎藩領(たかさきはんりょう)をはじめ、片山七騎(かたやましちき)などが(おさ)めた(はた)本領(もとりょう)や、天領(てんりょう)平林(へいりん)寺領(じりょう)がそれぞれ支配(しはい)しました。

なかでも川越(かわごえ)藩主(はんしゅ)松平(まつだいら)伊豆(いずの)(かみ)信綱(のぶつな)による野火止(のびとめ)用水(ようすい)工事(こうじ)有名(ゆうめい)です。

江戸(えど)時代(じだい)には開発(かいはつ)によってできた(むら)などを(ふく)め、市内(しない)には15の(むら)ができました。

これらの村々(むらむら)幕末(ばくまつ)変動(へんどう)()明治(めいじ)(むか)えます。
明治(めいじ)8(ねん)(1875)4(がつ)黒目(くろめ)(がわ)流域(りゅういき)片山(かたやま)の10の(むら)は、合併(がっぺい)して片山村(かたやまむら)となり、明治(めいじ)22(ねん)(1889)4(がつ)には、大和田町(おおわだちょう)野火止(のびどめ)(むら)ほか3つの(むら)が、合併(がっぺい)して大和田町(おおわだまち)になりました。

その()昭和(しょうわ)30(ねん)(1955)3(がつ)には、大和田町(おおわだまち)片山村(かたやまむら)合併(がっぺい)して新座町(にいざまち)成立(せいりつ)し、さらに昭和(しょうわ)45(ねん)(1970)11(がつ)1(つい)(たち)新座市(にいざし)となりました。

市制施行時の写真

▲新座市(にいざし)となった時(とき)の写真(しゃしん)

 

コラム1:野火止用水(のびとめようすい)はどうやってできたの?

野火止用水の画像

むかしむかし、野火止(のびとめ)用水(ようすい)には、野火止(のびとめ)台地(だいち)()らす(ひと)たちが()大切(たいせつ)()(みず)(なが)れていました。

その(みず)は、1655(ねん)川越(かわごえ)藩主(はんしゅ)(えらい(ひと))だった松平(まつだいら)伊豆守(いずのかみ)信綱(のぶつな)が、家臣(かしん)家来(けらい)(ひと))の安松(やすまつ)金右衛門(きんえもん)指示(しじ)をして、

玉川(たまがわ)上水(じょうすい)東京都(とうきょうと)小平市(こだいらし))の(みず)()けて野火止(のびとめ)用水(ようすい)(つく)ったことによって、(なが)れるようになりました。

(いま)は、用水(ようすい)周辺(しゅうへん)には散歩(さんぽ)できる(みち)ができていて、自然(しぜん)(たの)しみながらリラックスできる大切(たいせつ)(みち)になっています。

 

コラム2:新座(にいざ)に伝わる民話(みんわ)

(ふる)くから地域(ちいき)(かた)()がれてきたお(はなし)を「民話(みんわ)」と言うよ。

新座市(にいざし)(つた)わる「にいざの民話(みんわ)」を、図書館(としょかん)ホームページから()んでみましょう。

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