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平成27年度第4回文化財保護審議委員会会議録

ページID:0045205 更新日:2016年4月4日更新 印刷ページ表示

開催日時

平成28年3月3日(木曜日)
午後2時から午後5時15分まで

開催場所

新座市役所第2庁舎4階 会議室2

出席委員

根岸茂夫、岩崎信丈、佐藤善信、小林英郷、蔵持重裕、宮瀧交二 (全6名中6名)

事務局職員

教育総務部長 大熊 正
同部副部長兼生涯学習スポーツ課長 渡辺 哲也
同課副課長兼生涯学習係長 谷口龍一
同課主任兼学芸員 斯波 治
同課主任兼学芸員 川端真実
同課主事兼学芸員 川畑隼人

会議内容

1 開会
2 挨拶
3 議題
 (1) 文化財の市指定化について
  ア 力石
  イ 野火止用水古絵図
 (2) その他
4 諸報告
 (1) 日本遺産の申請について
 (2) 睡足軒の国登録有形文化財(建造物)の登録について
 (3) 嵯峨山遺跡第16地点発掘調査現地説明会の開催について
 (4) 文化的景観講演会「武蔵野の雑木林を未来へ」の開催について
 (5) 十文字学園女子大学COC事業との連携について
5 嵯峨山遺跡第16地点、睡足軒、平林寺現地視察
6 閉会

 会議資料

・次第
・野火止氷川神社の力石に係る聞き取り調査
・力石の調査関係資料
・日本遺産申請書及びパンフレット
・睡足軒資料
・埼玉県選定重要遺跡「嵯峨山遺跡」第16地点発掘調査現地説明会実施の御案内
・文化的景観講演会「武蔵野の雑木林の景観を未来へ」チラシ
・「新座ふしぎマップ」リーフレット
・「ふるさとの緑と野火止用水を育む会」リーフレット

公開・非公開の別

公開 (傍聴者0人)

その他の必要事項

なし

審議の内容(審議経過、結論等)

1. 開会

午後2時開会

2. 挨拶

委員長挨拶

3. 議題

(1) 文化財の市指定化について

ア 力石

資料に基づき、事務局が調査の進捗状況の説明と報告を行った。

委員:写真の人はどなたか。
事務局:新井新吉氏が60代の頃の肖像だ。
委員:新井新吉氏が60代となると、大正の初年だろう。こちらの氷川神社の力石をどのように使ったかが分からない。指定にあたっては推薦書に一般的な力石の使われ方を示さねばならない。古文書も聞き取りも難しいが、周辺地域の事例を見るなりして、何らかの典拠をもって、このような形で使われたのではないかという予想はできるか。
事務局:志木、朝霞、東久留米市、所沢市等に力石があるが、指定されているものは少ない。調査報告等を参考にさせてもらうことはできる。
委員:新井氏は、宗門帳で名前の確認はできるか。
事務局:歴史民俗資料館に保管している宗門帳に、新吉氏よりも前の磯七氏の名前が出ていた。
委員長:例えば、名前の刻まれた4人で担いで奉納したということもあるかもしれない。
委員:私の祖母から聞いた話でうろ覚えだが、菅沢にミョウガサキという力持ちがいたという。十代の頃に聞いたので、当時はあまり興味を持たなかった。誰が寄附したかというよりか、それを用いて何をしたかが重要だと思う。誰の力石というのだけでなく何をしたのかという点を調べた方がいい。
委員:前回の報告から進展があってよかった。力持ちの人の伝承と、力石の使い方が結びつきそうなところもよいと思う。もう一つ、石そのものについては何か報告は無いか。銘の彫り方が同じ職人の手によるものと推測されたので、石工や石材等、製作工程の側面からの調査や聞き取りをして、手がかりは得られないか。
委員:置かれている力石の裏面は確認しているか。
事務局:60貫の石には裏に何も書かれていないことを確認した。50貫の石も確認したが、名前等はなかった。石材に関しても砂岩と推測しているが、どの系統の砂岩かについてはわからない。
委員:砂岩ではなく、火成岩ではないか。墓石に使うのは大体火成岩だ。
事務局:花崗岩のような雰囲気があり、火成岩の仲間ではないかと思っている。
委員:石材の入手先は川原で、丸みは天然のものだろうか。
委員:鑿(ノミ)の痕もあったので、整形した可能性もある
委員:江戸の墓石は小松石等の火成岩が使われる。
事務局:石工に関しては、明治初頭の新座にはいない。いわゆる墓石等を扱っている店舗が志木には1軒ないし2軒あるが、その先は調査が進んでいない。
委員長:「関根」という名は新座にはないが、志木に関係があるということなら、そういった関係の資料はあるか。
事務局:志木の資料には、海外にまで力自慢の興業に行ったとある。これが新座より少し前の時期なので、この影響で新座でも力石が作られた可能性はある。
委員:力石を作るときに志木の方の関根氏が関係したのか。
事務局:その可能性もある。ただ、「当初」と入っているのが非常に気になる。
委員長:一時的に関根氏が新座に住んでいたのかもしれない。
委員:力石の銘を見比べると、3名は共通で1名が異なり、関根氏と並木氏が入れ替わっている。
事務局:その可能性はある。
委員:神社で祭礼が行われているが、力石を用いた祭祀のようなことが行われたという記録はあるか。
事務局:宮司の石山氏に聞いたが、記録には残っていないとのことだ。ちょうど、宮司の石山家と神楽の石山家が分かれた頃であり、それぞれの資料が神楽の石山家の方に残っていて、宮司の石山家には残っていないという可能性がある。けれども、神楽の方の石山家では記録が残されておらず、古い記録が神社のものとして残っていないのは非常に不思議だが、それしか考えようがない。
委員:もう一つ考えられるのは、新井家の菩提寺はどこなのかということである。お寺に過去帳が残っていれば、姓がちゃんと出てくるかもしれない。それから、この土地からいわゆる力士のような力を持った者が出ていないか。
事務局:江戸時代の末期に、野火止から力士が出ている。清水氏という方だが、この時期に野火止にいらっしゃったかどうかは確認が取れていない。
委員:この地で相撲を取るなどしていたのか。
事務局:聞いたことがない。
委員:神社に土俵の痕跡もないか。
事務局:全くない。
委員長:新井が「荒井」になっていることについて、明治初年にはそれほど気にしていなかったのではないか。中世でも近世でも、音が同じであれば、異なる漢字を用いることはよくある。
事務局:字が異なるのは、日常的に起こっていたと解釈してよいか。
委員長:よいと思う。他にご意見がなければ、指定に向けてさらに調査を進め、新座の歴史の中に位置づけていきたい。

(審議を一時中断し、嵯峨山遺跡第16地点発掘調査、睡足軒、平林寺境内林の現地視察を行う。)

イ 野火止用水古絵図

事務局:前回の委員会において、こちらに関しては現物確認をするべきという御意見をいただいていたが、所有者である長谷川氏のお宅にお邪魔して、現物を拝見させていただき、またお借りできるということになったので、本日こちらにお持ちしている。御覧いただいて、指定化に向けての御意見を賜りたい。
委員:年号は入っているか。
事務局:年号は書いていないが、「東京」という表記があるので、江戸から東京に変わってからのものであろうと推定できる。歴史民俗資料館のものと比べると、文字が大きく、巻頭の凡例がない。
委員長:「元前橋県」、「元品川県」とあるから、明治4年くらいだろう。
事務局:歴史民俗資料館にあるのが明治4年の年号が入っており、そこには「江戸道」と欠かれているが、こちらでは「東京道」なので、間違いなく明治4年以降に書かれたものだ。ほとんど図の様子が一緒なので、歴史民俗資料館と同じものを写して、これを描いたのではないかと想像できる。
委員:明治4年というのはどういう年か?
委員:廃藩置県の年だ。土地書類も全部出して調べたはずなので、その時のものではないか。
委員長:始めは「高崎県」で「前橋県」に変わったと記憶している。
事務局:ちょうどこの紙一枚分が欠落している。平成に入って表装したもので、ばらばらだった1枚1枚をつなぎ合わせている。
委員:裏面には何も書かれていないだろうか。
委員長:書かれていないように見える。
委員:歴史民俗資料館のものとの違いというのは1枚抜けている点だけか。
事務局:図の中で、「江戸道」が「東京道」になっている。細かい点はまだ確認していないが、水車の位置も見ている限りでは変わっていない。
委員:図中の赤い丸が水車か。
事務局:水車だけではなく、一つの村境ということもある。
委員長:こちらの図では、ハケがかなり強調されている。土地勘のある人が描いたのだろう。
委員:増田氏の水車はどこにあるか。
事務局:増田水車はこの辺りで、「オオハケ」という場所だったので、それがなまって「オバケ水車」という。
委員:その辺りの水車は伸銅工場か。
事務局:ここは伸銅だ。これが水道道路だが、場所によっては水道道路から少し入り込んでいる。
委員:これは平林寺堀のサイホン(伏せ越し)か。
事務局:それは西屋敷の方だ。平林寺の方に入るのはここだ。平林寺の南側は両方とも高いのでサイホンだと思う。ただ、この描き方だと橋のようにも見える。ここが高いので橋にしていた可能性もある。道路課によれば、ここのサイホンは非常に浅いことがわかっており、サイホンを作り、しばらく経ってから道路を削ったから浅くなったのだろう。
委員:これはなんと読むか。
委員長:「此小堀野火止字東屋敷民家二軒飲水」
委員:この二軒は集落から離れていたのだろうか。
事務局:おそらく現在の「いなげや」のところで、立教大学の正門の近くだ。
委員:ここは水田のように描かれている、これは柳瀬川か?
委員:こちらは大正耕地か?
事務局:柳瀬川はそうであるが、もう一つは大正耕地ではなく、位置的には現在の館のニュータウンの辺りだ。
委員;歴史民俗資料館の方では、水田の縁取りはあるが、彩色がない。
委員:野火止用水は、サイホンも含めて指定されているのか。
事務局:水路の構造物は全て指定されている。修理する時も現状変更の手続きをしている。用水口も指定区域だ。
委員長:この辺りからずっと引き込んで、一部は川に流してしまうが、これはずっと樋を残している。
事務局:新河岸川である。この架け樋の継ぎが48、つまり「いろは(48組)」あったということで「いろは樋」という名が付いた。
委員:彩色からして、今回のものが、歴史民俗資料館のものを写したとは言えない。書き手が違うことは明らかだろう。
事務局:志木の郷土資料館にも古絵図があり、細かい点は分からないが、概観した限りではほぼ変わらない。何か元があって写したのだろう。
委員:歴史民俗資料館のものは色までは塗っておらず、輪郭だけ写している。
委員長:元々の親本(原本)がいて、今回のものと歴史民俗資料館のものがそれぞれ書き写されたものだから、両者に違いが生まれたのだろう。この2枚を組合わせれば、元の1枚を復元できるかもしれない。
委員:埼玉県立文書館にはないのか?
事務局:同じものはない。野火止用水の絵図についてはあるが、これほど精度の高い図ではない。
委員長:あれは小諸家が江戸時代のものを写したものだ。
委員:これは何と読むか。
委員長:「従是水上新座郡村地内」と読む。村境を示したのだろう。これからも指定を視野に入れて、他の資料や絵図を検討しながら継続的に考えていくこととしたい。また、調査の経過を報告してほしい。

(2) その他

特になし。

4 諸報告

 (1) 日本遺産の申請について

 資料に基づき、事務局が説明と報告を行った。

委員:この内容で文化庁に提出してしまったのか。これでは認定はちょっと難しいだろう。 事務局:川越市が中心となって申請を行ったため、新座の意見が反映しきれていない部分もある。 委員:趣旨には異論はないが、文章に問題が多い。もともと武蔵野の風景は見渡す限りの茅原であり、それが新田開発によって今の武蔵野になった。国木田独歩の『武蔵野』の中では、落葉樹林の武蔵野を「今の武蔵野」という言い方をしていて、本来の武蔵野は茅原だということを指している。この辺りが誤解を生む。やはりその前段に、例えば古代から中世にかけて、当時の中央(畿内)にもよく知られていた武蔵野の景観は、『伊勢物語』にも記されているように、見渡す限りの茅原であった。「これに対して」(と対比させて)、その次に国木田独歩の『武蔵野』についての文章が続いていくべきだ。例えば、外国人がやって来て、東京国立博物館に行けば『武蔵野図屏風』という、一面のススキ野原の向こうに日が落ち、月が昇ってくる図を見ることができる。そのような古い景観の武蔵野が屏風や茶器の図柄になっていて、雑木林はない。武蔵野の景観というのは、「ストーリー」に載っている川越藩のものと、前段のものを両方併せて申請しないといけない。特に、美術館等で目にするのは、今の武蔵野ではない方の武蔵野である。差替えができるのであれば差替えた方がいいくらいだ。独歩は新田開発以降の武蔵野を今の武蔵野と言っているが、ツルゲーネフが針葉樹林の美しさを認めたように、独歩は雑木林の美しさに最初に気づいた人である。独歩が開発以前の武蔵野に触れていないようにストーリーが書かれているのはおかしい。
委員長:新河岸川の舟運を利用して物資が運ばれたのはわかるが、なぜ川越城下だけが繁栄したように書かれるのかが理解できない。物資の多くは川越を経由していない。
委員:野火止塚の評価についても、ここには一切出てこない。
委員:川越の方とよく調整してほしい。
委員:新座の文化財保護審議委員会としては、承服しかねる内容だ。元々の自然の侘び寂びの景観も評価し、人が手を入れた雑木林の景観も評価すべきだが、前段が全く出てこない。
委員:「日本遺産」という制度自体が、これまでの文化財保護と異なる部分が多い。文化財保護審議委員会がストーリーを審議すると、納得できない部分が出てきてしまう。
委員:武蔵野には文学や美術も多くあるが、武蔵野の多面性が書かれていない。
委員長:字数制限があるので難しさもあるが、やはり認定されたストーリーと比べると、完成度が全然違う。何を主張したいのかが弱い。
事務局:元々、川越が申請を検討しており、観光の視点を持って、後から新座市と三芳町が加わった経緯がある。また、新座市は単独では申請できないので、準備する時間も短い中、急きょ2市1町で申請する形となった。

(2) 睡足軒の国登録有形文化財(建造物)の登録について

  資料に基づき、事務局が説明と報告を行った。  

(3) 嵯峨山遺跡第16地点発掘調査現地説明会の開催について

  資料に基づき、事務局が説明と報告を行った。

(4) 文化的景観講演会「武蔵野の雑木林を未来へ」の開催について  

  資料に基づき、事務局が説明と報告を行った。  

(5) 十文字学園女子大学COC事業との連携について

  資料に基づき、事務局が説明と報告を行った。

5. 閉会

午後5時15分閉会


新座市文化財保護審議委員会