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平成23年度第4回野火止用水文化的景観保存計画策定委員会

ページID:0003355 更新日:2012年3月26日更新 印刷ページ表示

会議録

会議の名称

平成23年度第4回野火止用水文化的景観保存計画策定委員会

開催日時

平成24年 3月26日(月曜日)
午前 9時30分から
午前11時30分まで

開催場所

新座市観光プラザ2階 交流ルーム「せせらぎ」

出席委員

【委員】

亀山章委員長、根岸茂夫副委員長、福田知明委員、村上雅巳委員、長谷川栄委員、小山晏雄委員、黍塚賢委員、松竹寛山委員
(計8名)

【指導者・助言者】

埼玉県教育局市町村支援部生涯学習文化財課指定文化財保護担当主事 戸來吏絵

事務局職員

教育長 金子廣志、
教育総務部長 田部井利江、
教育総務部副部長兼教育総務課長 小杉誠、
生涯学習課長兼社会教育主事 大熊正、
生涯学習課副課長兼学芸員 斯波治、
生涯学習課主事兼学芸員 川端真実、
生涯学習課主事兼学芸員 川畑隼人

会議内容

  1. 開会
  2. 挨拶
  3. 議題
    (1) 野火止用水文化的景観保存計画の策定について
    ア 野火止用水文化的景観保存計画(案)について
    イ 野火止用水文化的景観保存計画の名称について
    (2) その他
  4. 閉会

会議資料

  • 次第
  • 野火止用水文化的景観保存計画(案)
  • 重要文化的景観選定申出時の文化財名称について

公開・非公開の別

公開
(傍聴者 0人)

その他の必要事項

【欠席】中西裕二委員
【途中退席】松竹寛山委員、金子廣志教育長
※保存計画策定業務委託受注者同席
株式会社LAU公共施設研究所 牧野真大

審議の内容(審議経過、結論等)

1 開会(大熊課長)

2 挨拶(金子教育長)

3 議題

(1) 野火止用水文化的景観保存計画の策定について

ア 事務局から資料により議題⑴アについて、第3回から大きく変更した点を中心に説明する。
イ 審議

(委員長)

全体を少しずつ分けて考えようと思うが、最初は計画(案)31ページまででお気付きの点があれば御指摘いただきたい。
「野火止用水」という言葉はいつから使われたのかとか、この用水を巡る言葉がきちんと説明された方がよいと思った。先日、明治5年に書かれたという「玉川上水実測図」を見ていたら、野火止用水が野火止用水とは書かれていなくて、「元松平伊豆守様御用水」と書かれていた。一体、野火止用水という名前はいつから使うようになって、この名前はこのことを考えるときに正当な名前なのかどうか、ちょっと気になった。どこかにこのような記述をしておいた方がよいのではないか。
昨年、国の名勝に国分寺市の岩崎家が持っていた別荘「殿ヶ谷戸庭園」が指定されたが、この名前は無意味な名前だ。殿ヶ谷戸というのは、国分寺駅周辺のすごく広いエリアが昔呼ばれていたのだが、そこに庭園をやめて公園に東京都がしようと思って用地を買ったときに、仮に殿ヶ谷戸の辺りだから殿ヶ谷戸公園としていた。東京都がそう言っていたのを国が保護
するとなったときに殿ヶ谷戸庭園となってしまった。岩崎家が持っていたときには国分寺の家としか言っておらず、名前がなかった。そもそも造ったのが江口定條という三菱に勤めていた方だが、そのときは随宜ぎ園という名前を使っていた。昨年、文化財指定する際に随宜園という名前をわざわざ付けて文化財の名称にしたが、一応こういうときに名前を議論しておくことは必要だろう。
元松平伊豆守様御用水というのは、どこに書いた方がよいだろうか。野火止用水という名称に意味はないかもしれないが、いつ頃から言われるようになったのかとか、遡ってきちんと書いておいた方がよい。

(副委員長)

元松平伊豆守様御用水という言葉は、明治時代になってから作られた言葉だ。江戸では松平伊豆守様と言っており、明治時代に元が付いた。「上水記」ではどうなっていたか。

(事務局)

「野火留村分水」となっている。委員長がおっしゃった明治5年のものだが、歴史民俗資料館にある絵図の中には野火止用水素絵図という文言が出てくる。明治4年のものなので、一年前なだけではあるが。それ以前のものについては事務局でも遡ってみたが、正確にいつ頃と遡り切れない。
野火留村分水という言葉は結構出てくるが、実際に野火止用水という言葉がいつ頃から使われるようになったかというと、明治になってからなのか、その直前なのかというところだとは思うが、今のところ記録で遡り切れていないというのが現状である。

(委員長)

無理をしなくていいが、何か分かればきちんと書いておきたいところだ。

(副委員長)

28ページ指定文化財Hの鬼鹿毛の馬頭観音があるところは、範囲に入っているか。

(事務局)

範囲には入っていない。

(副委員長)

範囲に入っていなくてもよいのか。

(委員長)

範囲に入っているものに対して書いておいた方がよい。入っていないのだったら省くこと。
それと、市指定や県指定の文化財で、例えば27ページ埼玉県指定建造物の平林寺建造物群とあるが、これは建造物というジャンルか。

(事務局)

埼玉県指定有形文化財建造物だ。

(委員長)

市指定の古文書、歴史資料もこのようなジャンルか。

(事務局)

細かく分かれている部分について書き出している。本来だったら、有形文化財、民俗文化財などと書くべきところだとは思うが。

(委員長)

それはしっかり書かないとだめだ。どういう範疇のものなのか、しっかり書くことが大事だ。後々、このようなものがいろいろなところに引用されるので、正式に文化財名称を書いていただきたい。一通りチェックをしておくように。
また、30ページに社寺とあるが、これは社寺であることに意味があるのか、建造物なのか。社寺は全て拾ったのか、ふるいにかけたのか。

(事務局)

用水沿いに所在している社寺ということで拾った。

(委員長)

7ページ「新編武蔵風土記」の「野火止3分」というのは見たことがあるが、わざわざ「玉川7分」と書いてあるのか。

(事務局)

単純な校正ミスだ。

(委員長)

3分というのが7:3なのか、97対3なのか、3分というのは普通割合を示す3パーセントのはずだ。

(副委員長)

江戸時代の3分は3パーセントだ。

(委員長)

正確に引用するように。
それから、13ページから「江戸名所図会」を載せているが、この紹介はどこに書かれているか。これがいつ描かれたものなのかを含めて書いてもらわないと、それを知らない人にとっては、江戸初期なのか末期なのか、260年の違いがあるのだから、これは必要だ。絵だけはめ込んであるが、せっかくだからこれはいつ頃のものであって、この絵にあるようにこうなっているというこの絵を説明するような文章を本文中に入れていただかないと、これが読み飛ばしてもいいように思われるともったいないのでお願いしたい。

(副委員長)

16ページの江戸名所図会の平林寺だが、正確に描いているようでよく見ると左上に野火止塚が描いてあって位置が反対である。そういう指摘もしておいた方がよいかもしれない。

(委員)

9ページに短冊型地割による新田開発を実践とあり、10ページに耕地を計画的な短冊型に区画し、とある。そうすると14ページの短冊型の地割が形成されたのではなく、最初から短冊形に指定して、後から入植した農民達が短冊形に区画したのではない。形成されたという表現だと、受け取り方が誤解されるので、表現を変えた方がよい。短冊型の地割に計画された、という表現はどうだろうか。
それと、14ページの写真はどの辺りなのか位置は分からないだろうか。戦後すぐの写真だから難しいだろうか。

(事務局)

位置的には野火止用水の本流が写っているので、現在の野火止六丁目と七丁目の地域で国道254号から北側のイメージだ。

(委員長)

それを写真の中に書き込むべきだ。そうすれば場所が特定できる。

(委員)

用水の利用の仕方や、上流の集落では水利権がないということは重要なので、やはりどこかに書いておいた方がよい。

(事務局)

13ページにそれに関して非常に短い文章にしてしまっているが記述している。

(委員長)

それに関しては、野火止用水は新座市に入ってくるまではそもそも分水されない。他の市を通っているけれども、新座市のためにある用水だ。なぜ野火止用水に関係する市が他にあるのに、新座市がこの計画を単独で策定するのかを書くことになっていたが、しっかり書いておかないと、文化庁としては野火止用水を文化的景観の対象地にしたが、他市からクレームが付いたときに困る。これは大事なことだ。

(副委員長)

水利権については、一件だけ例外があって、東村山市の恩田だけ認められていた。水車が作られている。そのあたりを明記しておけばよいのではないか。

(委員長)

32ページから59ページまではいかがか。

(委員)

43ページ表2-13だが、確認された生き物として載せてよいのか疑5 問だ。俗称で載せているものを確認されたものとしてよいのか。

(委員長)

地域的な呼び名であるということを明記した方がよい。
46ページの野火止用水の使用風景写真で洗濯をしているが、この頃飲み水はどうしていたのか。もう水道ができていたのか。

(事務局)

場所によって水道が引かれているところと、そうでないところがある。

(委員長)

野火止用水の使用ルールはなかったのか。こんなものを洗ってはいけないとか、こんなことをしてはいけないとか、文章にはなっていないのか。

(事務局)

江戸時代に出された県の資料には書かれている。ごみを捨てないとか三箇条で書かれている。

(委員長)

写真については精査してほしい。水の使い方のルールや、地元の言い伝えなどが書いてあるとよい。

(委員)

野火止用水で汚いものは洗わない。水を汲んできて、かめにためて洗っていた。

(委員長)

そのような使い方を地元の方にお伺いして、書いておくとよい。
第3章についてだが、野火止用水の史跡指定はどこかに書かれているか。

(事務局)

範囲を確認したときに、埼玉県教育委員会からの回答として、水路敷については3.6メートル、左右の土あげ敷各1.8メートル、合計7.2メートルが用水敷ということで指定の範囲となっている。73ページの図の中で表現しているが、言葉が足りないので加筆する。

(委員長)

幅があって指定しているということを明記すべきだ。
また、地元に対してはどうすることになっていたか。説明会などは開催したか。

(事務局)

まだこれからだ。この計画が出来上がった時点で、説明会を行う予定である。来年度になる。

(委員長)

通常は計画策定前に地元の意見を伺うということはあると思う。保存計画(案)のままにしておいて、意見をお伺いし、直すところは直すのは市の責任でやるのだったらそれでいい。

(事務局)

この委員会での審議については、原案の完成までとする。計画となると、市の計画として庁議決定を受けて計画となる。その後の修正等については、市の責任において継続して行う。

(委員長)

案の段階で地元には説明をしていただけるか。

(委員)

案の段階で地元住民に説明するというのは無理だと思う。

(委員長)

都市計画は案の段階で説明している。決めてからだと変更がきかなくなる。通常、私権に関わることについて何かをするときは地元説明を行う。

(事務局)

今回、計画を策定して庁議決定した後、それに基づいて国に申出をしていく形になろうと思うが、その際にこの計画を改訂する必要が生じた場合は市の方で改訂していく形になるので、この計画の段階で地元の重要な構成要素は受け入れられないという御意見があったときは、改訂せざるを得ないと思う。

(委員長)

文化財関係のものでも地元説明を行っている。

(委員)

当然、私的財産の制限、保存活用に関わる問題なので、説明が必要ではないか。

(委員長)

少なくとも姿勢として、地域の人達に説明をして理解を得るというスタンスを持っていないといけない。やり方をしっかりしないと、進むものも進まなくなるので調整していただきたい。せっかく策定委員会に地域の代表の方にも来ていただいているのだから相談してほしい。

(委員)

野火止用水は史跡指定されているが、用水が民有地を通っているところは必ずあると思うが、個人所有の土地の中に用水が通っているところはあるか。

(事務局)

指定範囲の中で個人の土地を通っている用水路は平林寺以外、一切ない。

(委員長)

用水部分だけは国有地になっているとかはないか。

(事務局)

水路敷については、本流は全て国有地で市が管理している、平林寺堀の平林寺境内については明確にされていない。公図上では用水敷がきれいに書かれているが、以前に平林寺と当時の土木課との話し合いの中で、野火止用水に関しては平林寺のものだという話が出ていたそうだ。ただ、実際に公図上で用水敷が鮮明に分かれているので、復原対策・清流対策事業のときだったかと思うが、市が実施するという話し合いが持たれて、了解を得て市が実施している。

(委員長)

用水の所有権は何年か前に国から市に移管されている。
明治の初めに赤線と青線を引いたときには、農業が国の基本だから、道と水路は国のものだということを公図上はっきり書いた訳だから、非常に厳然と出ていることだ。

(委員)

公図上ということは、所有権はどうなっているか。

(事務局)

公図上でいえば市のものになっている。法務局にも登記されている。

(委員長)

108ページからはいかがか。

(委員)

131ページの重要な構成要素の中で、新座市観光プラザは区域外なのになぜ入っているのか。

(事務局)

重要な構成要素から外す。

(委員)

野火止用水は史跡であって建造物ではない。建造物の中でも特に家屋については税制優遇措置があるが、他には何もないのか。区域指定されて個人の所有地がその中に含まれてしまうと、当然制限が出てくるが、補助や優遇措置があるのか。ないと指定を拒否する人もいるのではないか。

(事務局)

優遇措置はない。重要な構成要素に該当する家屋が建っている敷地に関しては固定資産税等の優遇措置があるが、それ以外のものについては基本的に優遇措置はない。

(委員)

第1回策定委員会で、地域の方から相続問題の話が出ていたと思うが、指定されても何か優遇措置がないと守り切れないのではないかと思ってしまう。

(委員長)

しっかり勉強しておかないと地元説明のときに困る。

(事務局)

実際、選定申出範囲内で重要な家屋は平林寺の建物が該当するだけで、他は一切ない。

(委員長)

橋の掛け替えはよいのか。

(事務局)

橋の架け替えは構成要素に含まれるものはともかく、通常のものであれば用水に架かる橋は史跡に該当してくる。史跡についてはこれまで現状変更の手続を行っているので、その範疇に入ってくるかと思う。

(委員)

30ページの野火止用水沿いの社寺は、重要な構成要素に入ってくるか。

(事務局)

建物の時代性などから古い建物がないので入ってこない。

(委員)

そうするとこの社寺はどういう意味合いがあるか。

(事務局)

地域に住んでいる方々の生活という点で関わりを持っているものとして紹介させてもらっている。

(委員長)

その地域の人々にとっては大事なものだろう。

(委員)

雑木林はどのような扱いになるか。

(委員)

それに付随して、農地や雑木林は建造物ではないが、重要文化的景観の一翼を担っている。建造物は優遇措置があるが、農地や雑木林については制約があっても優遇措置はない。これから地域に対して説明があるときの一つの課題になるかと思う。

(事務局)

農地や雑木林に関しては、制約はほとんどない。

(委員)

変更する場合は届出をすると聞いたが。私有財産を処分するのは止むを得ない訳だから、野火止用水沿い25メートルの範囲内であっても、止むを得ないということでよいか。現状が文化的景観を損なってしまってはこまるが、止むを得ない。

(事務局)

規制については、新座市景観条例・計画に基づく規制が最優先になり、届出が必要になる。また、重要文化的景観の届出もあり、二つの届出が必要になってくるが、文化財保護法上の大きな規制はない。

(委員長)

最後に、第6章、第7章について、何か意見はあるか。

(事務局)

この計画(案)に対してお気づきの点があれば、3月30日までに事務局へ御一報いただきたい。

(委員)

観光プラザを重要な構成要素から外すということだったが、活用の面では情報発信の場としても重要なので、第6章に拠点として明記してほしい。

ウ 事務局から資料により議題(1)イの説明が行われる。

(事務局)

前回の会議で、委員長から名称に平林寺も加えてはどうかというお話があった。文化庁に話をしたところ、一法人の固有名詞を使うのは好ましくないと言われた。名称に平林寺をそのまま使うのは難しいと考えている。

エ 審議

(委員長)

一法人という考え方には納得しない。県と連携して、文化庁に行って主張することは大事だ。このような考え方は文化を全く理解していない。熱意を持って説得してほしい。

(事務局)

名称については、それぞれの地域の特性を表現できるようなものとなっている。

(委員長)

野火止用水と平林寺はこの地域にとって大事なものだ。

(委員)

昔から野火止用水のお陰でこの地域は生き残っている。新田開発というのもよいと思う。

(委員)

平林寺をなくしてしまったら、観光的なものもなくなってしまうだろうし、切っても切れないものだ。「野火止用水と平林寺」で押してもらうしかない。

(委員長)

「野火止用水と平林寺の文化的景観」という名称に決定する。県の後押ししていただいて、何とか頑張ってもらいたい。

(委員)

逆に、他にこのような例がなければ、ここが初めてになるという意味では、観光的にも話題になる。今までがないからというのは理由にならない。

(2) その他

平成24年4月1日付け人事異動の内示について紹介した。

4 閉会(根岸副委員長)


野火止用水文化的景観保存計画策定委員会