発掘調査された埋蔵文化財
 新座市内には、100ヶ所を超す遺跡があります。柳瀬川や黒目川に沿った台地の縁辺部、立川段丘上、微高地等に多く分布し、野火止台地の中央部にも数地点の散布地が存在しています。 また、未だに発見されていない遺跡が存在する可能性もあります。
 遺跡の大半は、土器や石器類が分布する散布地ですが、発掘調査により遺構や遺物が出土した遺跡もあります。
 ここでは、そんな原始・古代から現在まで連綿と続く、人々の生活の痕跡(遺跡)の一部を紹介します。
表1
| 所在地 | 
大和田一・五丁目、柳瀬川右岸の野火止台地縁辺部に位置し、大和田ファミリープールと新開小学校を囲むように所在しています。 | 
| 分布調査 | 
旧石器時代、縄文時代早期・後期、弥生時代後期、古墳時代前期、平安時代の各時代の遺物が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
11地点の調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
弥生時代末から古墳時代初頭の方形周溝墓等が発見されました。 | 
| 遺物 | 
関東ローム層中から旧石器時代のナイフ形石器・剥片・石槍等が出土し、その他に縄文時代早期の条痕文土器、弥生時代後期土器、古墳時代の土器等が出土しています。 | 
表2
| 所在地 | 
大和田三丁目、柳瀬川右岸の緩斜面に位置し、大和田二・三丁目地区土地区画整理事業に伴い、広範囲に発掘調査が行われています。 | 
| 分布調査 | 
縄文時代早期・中期・後期、古墳時代後期、平安時代、鎌倉時代、江戸時代、近代の各時代の遺物が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
15地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
縄文時代中期の集落跡と、平安時代の集落跡、火葬墓等が発見されました。 | 
| 遺物 | 
縄文時代中期の土器・石器、平安時代の土師器・須恵器等が出土しています。 | 
表3
| 所在地 | 
畑中二丁目、黒目川左岸の立川段丘上に位置し、主要地方道保谷・志木線を挟んで広範囲に所在します。 | 
| 分布調査 | 
縄文時代前期・中期・後期、弥生時代後期、古墳時代、平安時代、中世の遺物が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
2地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
縄文時代の前期の貝層をともなう住居跡、中期の住居跡、中世の竪穴遺構等が発見されました。 | 
| 遺物 | 
縄文時代前期・中期の土器、シジミ貝等の貝類、中世の陶質土器が出土しています。 | 
表4
| 所在地 | 
畑中二丁目、朝霞台地直下の黒目川右岸微高地上に位置し、その範囲は一部が朝霞市内にまたがります。 | 
| 分布調査 | 
昭和に工場の建設に際して、縄文時代後期・晩期の土器が多量に採取され、その資料が報告され、縄文時代晩期の遺跡として著名になりました。 | 
| 発掘調査 | 
2地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
縄文時代後期の遺物包含層・集石遺構多量の焼土分布等が確認されました。 | 
| 遺物 | 
縄文時代後期の土器・石器・土偶・耳飾り等の土製品・石鏃等が出土されています。 | 
表5
| 所在地 | 
片山字新塚、黒目川右岸の朝霞台地縁辺部に位置し、市営墓園内に3地区の遺物包含地が所在します。 | 
| 分布調査 | 
旧石器時代の石器類、縄文時代早期・前期の土器類が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
最も北寄りに位置するA地区内において、1地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
旧石器時代の石器ユニット・礫群等の所在が確認され調査されました。 | 
| 遺物 | 
旧石器時代のナイフ形石器・彫器・スクレーパー等の石器類、縄文時代早期・前期・中期の土器が出土しました。 | 
表6
| 所在地 | 
馬場三丁目、黒目川左岸の立川段丘上に黒目川の流れに並行するように位置し、新座市立第四小学校南側に細長く広範囲に所在します。 | 
| 分布調査 | 
縄文時代前期・中期・後期の土器類が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
3地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
縄文時代中期の住居跡、土壙・集石遺構、平安時代の住居跡、中世の土壙・柱穴列・溝状遺構等が発見されました。 | 
| 遺物 | 
縄文時代前期・中期・後期の土器・石器、平安時代の須恵器、中世のカワラケ・板石塔婆等が出土しました。 | 
表7
| 所在地 | 
栄一丁目、黒目川右岸の朝霞台地縁辺部に位置します。また、台地の直下には、武野神社脇の湧水等を集めて流れる中沢用水が所在します。 | 
| 分布調査 | 
旧石器時代の石器類、縄文時代中期・後期の土器等が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
1地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
縄文時代後期の手鏡形の住居跡、中期と後期の土壙・集石遺構、近世から近代頃に掘削された溝状遺構等が発見されました。 | 
| 遺物 | 
縄文時代中期・後期の土器・石器類が出土しました。 | 
表8
| 所在地 | 
池田二丁目と道場一丁目の境に位置する関越自動車道新座料金所内に所在し、黒目川右岸の立川段丘に立地します。 | 
| 発掘調査 | 
関越自動車道新座料金所の建設に際して、埼玉県遺跡調査会により発掘調査が行われました。 | 
| 遺構 | 
縄文時代前期の住居跡・土壙が発見されました。 | 
| 遺物 | 
縄文時代前期・中期・後期の土器・石器類が出土しました。 | 
表9
| 所在地 | 
堀ノ内一・二・三丁目の黒目川左岸の野火止台地縁辺部に位置します。 | 
| 分布調査 | 
旧石器時代の石器類、縄文早期・前期・中期・後期の土器、奈良時代から平安時代と推定される須恵器、中世の陶磁器等が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
15地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
旧石器時代の石器ユニット・礫群、縄文時代早期の炉穴群・遺物包含層・早期・前期・中期・後期住居跡・土壙・集石遺構等が発見されました。 | 
| 遺物 | 
旧石器時代のナイフ形石器・石槍・縄文時代早期・前期・中期・後期の土器・礫器・打製石斧、磨製石斧・石皿、平安時代の土師器等が出土しました。 | 
表10
| 所在地 | 
野火止一丁目の野火止台地中央部付近に位置します。 | 
| 分布調査 | 
江戸時代の陶磁器類が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
2地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
野火止用水本流から分水された陣屋堀の水路跡や築堤遺構が調査されました。 | 
| 遺物 | 
近世の陶器等が出土しました。 | 
表11
| 所在地 | 
新座市内の新堀地区から西堀地区・本多地区を経て、野火止地区に至り、野火止台地の中央部に位置します。 | 
| 発掘調査 | 
今までに、本流3地点と平林寺堀1地点の4地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
本流では3地点の水路の遺構、平林寺堀では1地点の築堤遺構が調査されました。 | 
| 遺物 | 
本流の調査では、近世・近代の陶磁器とともに縄文時代の打製石斧が出土し、平林寺堀の調査では江戸時代・近代の陶磁器が僅かに出土しました。 | 
表12
| 所在地 | 
池田三・四丁目の黒目川右岸の朝霞台地縁辺部に位置します。 | 
| 分布調査 | 
旧石器の石片、縄文時代前期・中期の土器、平安時代の土師器等が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
1地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
旧石器時代の石器ユニット・礫群、縄文時代前期及び中期の住居跡・土壙・集石遺構等が発見されました。 | 
| 遺物 | 
旧石器時代のナイフ形石器・細石刃等、縄文時代早期・前期・中期・後期の土器・石器が出土しました。 | 
表13
| 所在地 | 
中野一丁目の跡見学園女子大学とその周辺に位置し、柳瀬川左岸の所沢台地縁辺部に立地します。 | 
| 分布調査 | 
縄文時代中期、弥生時代後期、古墳時代前期の土器類、奈良時代・平安時代の土師器等が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
跡見学園女子大学のグランドなど2地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
縄文時代中期の住居跡、古墳時代前期の住居跡が発見されました。 | 
| 遺物 | 
縄文時代中期の土器・石器、古墳時代前期の土器、平安時代の瓦が出土しました。 | 
表14
| 所在地 | 
栗原五・六丁目及び東久留米市に一部が位置し、黒目川右岸の朝霞台地縁辺部に所在します。 | 
| 分布調査 | 
旧石器時代の石片、縄文時代前期・中期の土器類が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
1地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
縄文時代前期の遺物包含層、縄文時代の土壙・集石遺構が発見されました。 | 
| 遺物 | 
旧石器時代のナイフ形石器や石片、縄文時代前期・中期の土器・石器が出土しました。 | 
表15
| 所在地 | 
畑中三丁目、黒目川左岸の立川段丘上に位置し、国道254号線の北側、主要地方道保谷・志木線の東側の狭い範囲に所在します。 | 
| 分布調査 | 
縄文時代前期・中期の遺物が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
2地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
縄文時代中期の土壙、推定江戸時代の堀建柱建築遺構等が発見されました。 | 
| 遺物 | 
縄文時代中期の土器等が出土しています。 | 
表16
| 所在地 | 
馬場二丁目の黒目川左岸の立川段丘上に立地します。 | 
| 分布調査 | 
縄文時代前期・後期・晩期の土器、平安時代の須恵器・土師器が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
2地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
平安時代の住居跡が発見されました。 | 
| 遺物 | 
縄文時代の土器、平安時代の須恵器杯・土師器甕・鉄製品(刀子)等が出土しました。 | 
表17
| 所在地 | 
馬場四丁目の黒目川左岸の立川段丘上に立地します。 | 
| 分布調査 | 
縄文時代前期・後期の土器、古墳時代及び平安時代の土師器、中世の陶質土器・近世の陶磁器等が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
2地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
縄文時代の土壙が発見されました。 | 
| 遺物 | 
縄文時代の土器が出土しました。 | 
表18
| 所在地 | 
市場坂橋の南、栄一丁目の黒目川右岸の朝霞台地縁辺部に立地します。 | 
| 分布調査 | 
旧石器時代の石片、縄文時代早期・前期・後期の土器、江戸時代の陶磁器等が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
1地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
旧石器時代の石器ユニット・礫群等が発見されました。 | 
| 遺物 | 
旧石器時代のナイフ形石器等の石器類が出土しました。 | 
表19
| 所在地 | 
池田二丁目の関越自動車道新座料金所の北側に位置し、黒目川右岸の微高地上から低地にかけて所在します。 | 
| 分布調査 | 
旧石器時代の石片、縄文時代早期・中期・後期の土器、平安時代の土師器、近世の陶磁器等が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
1地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
旧石器時代の石器ユニット・礫群、縄文時代中期から後期の遺物包含層・集石遺構、縄文時代の旧河道等が発見されました。 | 
| 遺物 | 
旧石器時代のナイフ形石器・石槍、縄文時代中期から後期の土器・石器、中世の板石塔婆、江戸時代の陶器、古銭等が出土しました。 | 
表20
| 所在地 | 
道場一・二丁目の法台寺を含む範囲に位置し、黒目川右岸の立川段丘上に立地します。 | 
| 分布調査 | 
縄文時代前期・後期の土器、平安時代の土師器、中世の陶質土器、江戸時代の陶磁器等が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
1地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
縄文時代前期の土壙、後期の遺物包含層、近代から現代の穴蔵、時代不明の溝状遺構群等が発見されました。 | 
| 遺物 | 
縄文時代前期・後期の土器・石器類、近代から現代の陶器・磁器等が出土しました。 | 
表21
| 所在地 | 
道場二丁目の新座市立保健センターを囲むように位置し、黒目川右岸の立川段丘上に立地します。 | 
| 分布調査 | 
旧石器時代の石片、縄文時代中期・後期の土器が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
1地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
旧石器時代の石器ユニット・礫群、縄文時代中期の土壙が発見されました。 | 
| 遺物 | 
旧石器時代の石槍、縄文時代中期の土器・石器等が出土しました。 | 
表22
| 所在地 | 
野寺一・二丁目の黒目川右岸の立川段丘上に位置します。 | 
| 分布調査 | 
旧石器時代の石片、縄文時代中期・後期の土器、古墳時代・平安時代の土師器が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
2地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
縄文時代後期の住居跡、中期から後期の土壙、近代の溝状遺構等が発見されました。 | 
| 遺物 | 
旧石器時代のナイフ形石器、縄文時代中期・後期の土器・石器・土製品等が出土しました。 | 
表23
| 所在地 | 
大和田三丁目の大和田運動場の東側に位置し、柳瀬川右岸の立川段丘上に立地します。 | 
| 分布調査 | 
旧石器時代の石片、縄文時代中期の土器が採取されています。 | 
| 発掘調査 | 
3地点の発掘調査が行われています。 | 
| 遺構 | 
旧石器時代の礫群、縄文時代中期の土器、推定江戸時代の神社遺構等が発見されました。 | 
| 遺物 | 
旧石器時代の礫群、縄文時代中期の土壙等が発見されました。 |