ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > にいざ見聞録 > にいざ見聞録(第6回 民家と屋敷森)

本文

にいざ見聞録(第6回 民家と屋敷森)

ページID:0000419 更新日:2012年11月1日更新 印刷ページ表示

 新座市は戦前、畑と屋敷森に囲まれた農家の純農村地帯でした。昭和30年ころから都市化が急速に進み、今日では散在的に屋敷森が残っているだけです。武蔵野特有の空っ風に舞い上がった粉塵を防ぐかのように、わずかにケヤキの大木が、ありし日の姿を偲ばせてくれます。
 往時の屋敷構えは少なく、屋敷森あるいは母屋を残す民家は、数えられるほどになっています。そのような中で、江戸時代後期の新座を代表する農家の様式で造られているのが、市内あたごの佐藤善信家です。
 佐藤家は、江戸中ごろから代々菅沢村の名主役を勤めた旧家です。母屋は茅葺きの寄棟(よせむね)造りで、土間の部分のほかに床上に4つの部屋が「田の字形」に並ぶ、典型的な農家の間取りをしています。土蔵に残された古文書からは、母屋が天保10年(1839年)、土蔵が天保15年(1844年)に建築されたことが判ります。これは様式からの建築年代とも一致します。
 新田開発に応じた屋敷割が続く佐藤家には、屋敷森の丈高く茂り合う立体的景観が今なおよく残されています。

あたご二丁目地内 佐藤家

資料
 佐藤家屋敷構えの写真土蔵の写真
配置図断面図