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板碑(いたび)は鎌倉時代から室町時代にかけて造られた板状の石塔婆です。
全国にわたって、地域ごとにさまざまな種類の板碑が造られましたが、新座市を含めた中世の武蔵国では、秩父の長瀞で採れる緑泥片岩(りょくでいへんがん)という青味がかった石を使って板碑が造られました。
板碑は死んだ人への供養や、自分自身が死後、極楽に行けるようにと願って造られたものです。室町時代の15世紀中頃を過ぎると、板碑の碑文に月待講(つきまちこう)や寒念仏講(かんねぶつこう)などの民間信仰もあらわれます。
寒念仏は、一年中のうち、最も寒い時期の寒中の夜に寺院や家々を巡りながら鉦(かね)をたたき「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の念仏を唱えて生前の罪過を払い、極楽往生できるように念仏供養をすることです。
市内畑中の東福寺(とうふくじ)にある寒念仏供養の板碑は 天文4年(1535年)の11月に三郎四郎(さぶろうしろう)・助左衛門(すけざえもん)の8名によって造立されたものです。
この板碑が造られたころの新座周辺は、北条氏綱(ほうじょううじつな)と上杉朝興(うえすぎともおき)が、河越(かわごえ)城の攻防を巡り一進一退の激しい戦いを繰り返し、庶民の生活が疲弊していたときでした。
新座市畑中二丁目5番22号 東福寺