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にいざ見聞録(第8回 柳剛流剣術と並木惣次郎)

ページID:0000421 更新日:2012年11月1日更新 印刷ページ表示

 切紙の写真
 江戸時代は日本武芸の黄金時代です。武士階級以外の帯刀は禁じられていましたが、幕藩体制がゆらぎ、社会が変化すると武術についても町人や農民の間に武芸稽古の機運が生まれました。
 片山村の農民並木惣次郎(なみきそうじろう)は、弘化2年(1845年)7月28日、柳剛流の剣豪、岡田十内(おかだしょうない)の門弟となりました。
 柳剛流は全国的に知られた流派で、その特徴は脛(すね)を切ることを最大の攻撃方法としています。薙刀(なぎなた)・柔術などを併せた実践的な武術でした。
 北足立郡下戸田村(現、戸田市)の「下戸田道場」に残された門弟帳(もんていちょう)によると、同じ日に並木姓が6名記されています。彼らもまた片山村の出身と考えられ、当時の若者の新しい生き方がうかがえます。
 のちに惣次郎は、農耕の合間に下戸田道場に通い稽古に励み、翌年3月には十内から柳剛流『切紙(きりがみ)』を伝授されました。
 惣次郎の生家である畑中の並木三之家には、幕末を生きた惣次郎の免許目録である『切紙』が、今に残ります。