本文
京都府船井郡京丹波町(きょうたんばちょう)安栖里(あせり)に所在する片山家には、鎌倉時代の新座を知るうえで貴重な古文書が数多く残されています。
鎌倉幕府は全国支配をするうえで、1222年の「承久の乱(じょうきゅうのらん)」後、反慕府勢力の所領3千か所を没収し、東国御家人に新たに恩賞として与えました。市域の片山地区(鎌倉時代は片山郷)に本拠をもつ片山氏も一族の片山広忠(かたやまひろただ)が、この乱の功績により、幕府から丹波国和智荘(たんばのくにわちのしょう)の地頭職(じとうしき)【新補地頭(しんぽじとう】)を与えられ移住した鎌倉御家人の一人です。
片山氏一族の主だった移住先をあげると、片山平九郎右馬允(へいくろううまのじょう)広忠が、丹波国和智荘(京都府船井郡和知町)。片山二郎兵衛尉(じろうびょうえのじょう)秀康が、伊勢国阿下喜御尉(いせのくにあげきのみくりや)(三重県員弁郡(いなべぐん)北勢町)。子の兵衛三郎(ひょうえさぶろう)景広が、同じく伊勢国田切郷(たきりごう)へ移り住んでいます。
彼らは移住したのちも武蔵国出身の御家人として、新座の片山地区に本領を持ちつづけています。
本領は、開発以来、先祖代々伝えてきた苗字の地でした。
写真は、今から778年前、ここ片山から遠く丹波国和智荘に入り、轡(くつわ)を並べ甲冑(かっちゅう)を響かせた兵(つわもの)たちが眠る、ふるさとの景観です。
新座市片山